子供の頃からの妄想癖を、存分に生かすことができるこの仕事。
これほどまで自分にあった仕事に、よくたどり着くことができたな、と思っています。
つい最近まで、親のすねをかじりまくっていました。27歳まで学生。アメリカから帰国してからの数年は、もうどうしていいかわからなかった。大学時代の友人は皆、しっかり就職してちゃんとお金を稼いで、結婚もして、安定に向かっている一方で、私は、金なし、仕事なし、彼氏なし、状態。不安で不安で仕方なかったけど、“自分にはこれしかない”と信じて、ただひたすら映画作りにこだわりました。
あるとき、「ここまできたら、自主映画でもなんでもずっと映画を作っていこう」と決心したら、すぅっと、もやもやが晴れました。だから、継続は力なり、だと思います。
30歳でデビュー。とても嬉しかったけど、相変わらずの貧困状態。でも、映画を作っていられるだけでよかったのです。その気持ちは、今も変わってないと思います。たぶん…。
しかし、綺麗事だけじゃすまされない。「映画を作りたい」という気持ちだけではなく、たくさんのお客さんに見てもらうんだ、そして私はこれを仕事にしているんだ、というプロフェッショナル意識は持っているつもりです。たぶん…。
お金を稼ぐことが目的なら、もっとちがう映画を作っているはず。仕事は仕事だけど、それだけでは割り切れない、魂を売るくらいなら死んだほうがまし。
私は私の映画を作らないといけない、といつも思っています。
好きじゃなきゃやってられない。
フィンランドに住みたい。
舞台挨拶で、映画を見た後のお客さんが喜んでくれているとき。
猫。猫。猫。酒。酒。酒。
「タカラ」に就職、「こえだちゃんと木のおうち」シリーズを開発。
世界規模で物事を見る目。
なくては無理。
継続。
猫のにおいをかぐ。たっぷり1時間。
『ことわざ辞典』
1972年千葉県生まれ。千葉大学卒業後、1994年に渡米。南カリフォルニア大学大学院映画学科で映画製作を学び、2000年に帰国。
2001年、自主製作映画の『星ノくん・夢ノくん』が、ぴあフィルム・フェスティバルで音楽賞を受賞。2003年、長編劇場デビュー作の『バーバー吉野』が、ベルリン映画祭児童映画部門特別賞を受賞。その他の主な作品として、『恋は五・七・五!』(2004年)、『かもめ食堂』(2006年)、『めがね』(2007年)。