これまでの自分の経歴を振り返ると、プロミュージシャンと会社員という二足のわらじを履いてスタートした私はかなり特殊だと思う。ベーシストとして音楽活動をしながら、250人規模のコールセンター立ち上げなど正社員として真剣に働いた。一緒に働くスタッフはすべて女性で、子育て中の人も多かった。お客様の役に立てることや頼られることが誇りとなって活き活きと働く彼女たちの姿に触れ、家庭もキャリアも諦めない、女性が輝いて働く場づくりに携わりたいという想いが芽生えた。そしてそれは、その後私の働くうえでの軸になっていった。
この軸をもって人材業界に転じたのは26歳のとき。29歳で音楽の道を諦め、当時勤めていた会社で、アシスタント業務から未経験の営業職に就くことを決意したときから、仕事に対するスタンスが変わった。音楽について悔いが残った分、次は絶対に諦めずにとことんやると決めていた。最初は、実年齢と自身のビジネススキルとのギャップに苦しんだが、「人の2倍働けば、2倍成長できる」という上司の言葉を信じ、1日17時間近く脇目もふらずに働いた。3年が経ち、お客様の事業が成功することで自信が育まれ、仕事が生きがいとなった。そのときに培った、“やってできないことはない”という生の体験は、今の自分の根底を支えている。
Sansanとの出会いは運命だったと思う。そろそろ次のステップへ、できるなら世界中の人たちが当たり前に使うような商品に関わりたい・・・と考えていた矢先に、声をかけていただいた。しかも、以前から商談先で何人もの取引先からSansanのサービスの良さを耳にし、興味を持っていたこともあり、惹き合う縁を感じずにはいられなかった。
Sansanは、『神山ラボ』のようなIT業界の働き方に一石を投じる試みをするなど、常にチャレンジ精神を忘れない会社。私自身も、ずっと無理だと避けられてきたチーム内業務の機能改善を半年でやり遂げることができ、また、子育て中のためにルーチンワークにシフトしていた女性に、本来のスキルを活かした働き方ができるような環境を整えることもできた。
音楽もビジネスも、私が残した何かによって誰かが幸せな気持ちになったり救われたりする、そういう人生でありたいと常に思っている。そんな私にとって働くことは、自己実現。次は自分の身をもって、家庭とキャリアのどちらも諦めない働き方を体現していきたい。
※「神山ラボ」
徳島県神山町にある、築約70年の古民家を再利用したサテライトオフィス。2010年10月の開設以降、ほとんどの社員が利用している。
はい。まだまだ物足りないので、もっとやりたいです。
両親を世界一周旅行に連れて行きたい。
「難しい」という理由で何年も諦めてきたことを、この半期で成し遂げ、
ともに働くグループ全員で喜び合えたとき。
健康と愛情。土台があってこそ仕事はさせてもらえるものなので。
絵描き。
実現しませんでしたが、自身のCDや結婚式のビデオで自作絵本を表現でき満足です。
目的観と想像力。何のために学ぶのか、何を果たしたいのか想像してほしい。
友達。大変なとき、考えたいとき、相談に乗ってくれる。いつも一緒。
他人の2倍やる。逃げない。勝てるイメージを持つ。
“今”ですか? “今”なら、明日の仕事を今のうちにやる。
『 三国志 』 [ 横山 光輝 著/潮出版社]
「死して尚、志を果さんと欲す。」 迷ったとき、いつでも読めるようにしています。
ミュージシャンを目指しながら、“サラリーマンのブルース”を表現するため、2004年の4月より250名規模のコールセンター(100%女性オペレーター)にスーパーバイザーとして新卒入社。同年、YAMAHA主催のコンテストでベストベーシスト賞を受賞。『老後は二人で暮らしたい』でCDデビューするなど積極的に音楽活動を行う。2008年、人材ビジネス業務管理ソフトを提供する株式会社ブレイン・ラボに転職。同年9月のリーマン・ショック後より、コンサルティング営業を担当。プライベートでも、ビジネス交流会やコミュニティ運営を行う。2013年、Sansanに入社。
◎ Sansanでは、一緒に働く仲間を大募集中です。