北九州市・小倉のレンタカー屋でワンボックスのワゴン車を借りた。情けないことに家財道具一式がその狭い空間に収まった。関門海峡を渡ったのが深夜1時。ほとんど夜逃げ。が、この日が、自分の編集者人生の第一日目となった。
25年も前のことだ。
大学を卒業後、大手メーカーに就職した。営業の仕事をそこそこ楽しくこなしていたのだが、知人に誘われるままに東京で編集の仕事をすることに決めた。向こう何年かの貧乏が確定した編集プロダクションへの転職を選択したのだ。マスコミ業界へのささやかな憧れがなかったと言えばウソになる。あまりにも軽薄な転職理由。北九州から東京へ向かう途中、実家で一泊して、会社を辞めて東京で働くことを初めて両親に話した。母親は泣いた。軽薄さは重いツケとなった。 だから、仕事が辛いということなど、あるはずがない。あのとき、自分は「負」の一切を精算してきたのだから。・・・といったところが、一応の建前である。
その後も流されるままに流されて、今の仕事に落ち着いた。逃げて逃げて、たどり着いた先。それが雑誌編集者というお仕事。「天職」などと言うつもりは毛頭ない。自分にはこれしかできないし、これしかなかった。たぶん、この先も。
好きでないとできません。
想像できません、たくさんのお金があるという状況が。
最近だと、昨年の1月、サンフランシスコでのMacExpo。iPhoneを初めて発表したスティーブ・ジョブズのスピーチに鳥肌立ちまくり。
家族、と言っておかないとね。
電車の運転手。
英語力と、世間を渡っていける技術とツキ。
自分の脳の一部。思考エリアの30%、記憶エリアの70%。
ツキ。
何をしようか1時間かけて考える。
読み返してみてわかったのだが、自分は歳をとったら、こんなふうに昔うまくいかなかったことをぐだぐだと言う爺になりたいと思った。
『方丈記』
[鴨長明 著、市古貞次 校注/岩波文庫]
1957年生。89年アスキー(現:アスキー・メディアワークス)入社。92年よりパソコン情報誌「EYE・COM」編集長。97年より『週刊アスキー』編集長。ほかに2つの雑誌の創刊にも携わる。TBSラジオ『デジ虫』のパーソナリティー、『森本毅郎のスタンバイ』コメンテーターを各3年務めるなど、ラジオパーソナリティーとしての顔も。現在、『週刊アスキー』編集人。