就職は平成元年。好況ではあったが男女雇用機会均等法ができて3年、まだまだ女性への門戸は狭い時代だった。JR東日本での文科系の採用は民営化して初めてで、「何か新しいことができるかもしれない」という興味があった。短い就職活動のなかでは一部の企業しか知らず、あとあと仕事を通じて、小さくても個性的な想いのあふれる会社が多いことを学んだ気がする。
仕事をしてきた23年間を振り返ると、ただひたすら目の前のことに一生懸命向かってきただけだった。若いときの出会いや仕事で学んだことが、30代になった頃から不思議とつながり出した。必死にやると、必ず出会いがあったり興味のわくことが出てきた。すると、その興味のある仕事を通じて、社内外の方がアドバイスをしてくれたり導いてくれたりした。入社して3年目の百貨店出向、バブル崩壊後やっていたプロジェクトが解散して、その後5年ほどはこれまでと縁のない部署に数カ所勤務し、また駅ビルの開発に戻った。そのときは考えもしなかったが、その転々とした部署の経験が35歳からの“エキナカ”につながった。
今、40半ばになって感じるのは、「無駄なことはひとつもない」ということ。良いことも苦しいこともすべて糧になるし、遊びも学びも人生の幅を広げる。そして、「一人でできる仕事はない」。志をともにできる仲間がいて、生まれた結果を喜びあえる。弱いときも支えあえるし、自分たちのやりたいこともやれることも広がる。
20代は効率悪くても一生懸命だった。30代は、プロジェクトを任され新しい会社につながり、責任という言葉の幅が広がった。40代になり、おこがましい言い方だが、社会のなかでの“自分の仕事の意味”を意識するようになった。
試験勉強の答えは一つだったけど、仕事も生き方も正解は無限にあり、自分がどう選ぶかだけのような気がする。この年齢になってもまだ迷うことだらけ。仕事は人生でかなりの時間の比率、だからこそ、それ自体を楽しんでいきたい。
好き。地方には魅力がいっぱい。
例えば、『ココ・ファーム・ワイナリー』※のような事業に参画したい。
仕事か否かの境界線がわからないが、生きることに楽しさと社会との接点を感じながら日々を過ごしたい。
メンバーの個々の力が結集して、想像できないような仕事をしたとき。
仕事の意義や情熱を、同じ言葉でメンバーみんなが語っていると社外の方から聞いたとき。
仕事も生活の一部なので比較の対象ではありません。
なんだろう。今もなりたいものはない。
仕事のためというより人生のために、いろんなことに興味を持つこと・人と意思疎通できること・効率を考えず何かに打ち込めること
時間、国境を越える道具であり知識の本。
志と情熱
1時間? 家のかたづけ
・ 読むのが3回目の『沈黙の春』 [レイチェル・カーソン 著/ 新潮社]
・ 旅行に参考にした『由布院の小さな奇跡』 [木谷 文弘 著/ 新潮社]
・ 『信州てくてくおいしいもの探訪』 [伊藤 まさこ 著/ 文藝春秋]
・ 『顧客革命 3人の旅人たち』 [谷口 正和 著/ ライフデザインブックス]
・ 『デフレの正体』 [藻谷 浩介 著/ 角川書店]
※ 知的障害者更生施設こころみ学園で栽培したブドウを利用して、ワインなどの加工・販売をおこなう。
同社は、こころみ学園生の自立支援のために80年に設立された。
1989年東日本旅客鉄道株式会社入社。本社開発事業本部を経て、大手百貨店に出向。阪急百貨店と立ち上げたグランデュオ立川の開発準備から開発後運営まで携わり、駅ビル出向等を経て、2001年に本社事業創造本部「立川駅・大宮駅開発プロジェクト」においてエキナカビジネスを手がける。2005年、『ecute(エキュート)』を運営する、株式会社JR東日本ステーションリテイリング代表取締役社長に就任。2008年11月、本社において地域活性化・子育て支援事業を手がけ、2010年6月より現職。
現在、茨城県農政審議会農業改革委員、学校法人日本女子大学評議員、いばらき大使も務める。「ウーマン・オブ・ザ・イヤー2006」を受賞。